自動車を売却し、引き渡した数日後。買取業者から「エンジンに異音がある。買取額を減額するか返品を」と連絡が来ます。売却時にはそんな症状はなかったはずです。そもそも査定時に見つけられなかったのはプロである業者の落ち度ではないでしょうか――。
これは、決して他人事ではありません。全国の消費生活センターに寄せられる中古車売却の相談件数は、2021年度に1,519件だったものが、2023年度には約9,000件へと爆発的に増加しました。前年度比で約7.8倍という異常事態です。その中でも「契約後の減額」は、最も頻発するトラブルの一つです。
なぜ、このような理不尽な要求がまかり通るのでしょうか。そして、どうすれば自分の権利と財産を守れるのでしょうか。そのための知識と戦略を具体的に解説します。
売主の重い責任
業者が減額を要求する法的根拠は、2020年4月の民法改正で導入された「契約不適合責任」にあります。これは、売却した自動車が「種類、品質、数量に関して契約の内容に適合しない」場合、売主が買主に対して責任を負うというものです。
この責任のポイントは2つあります。第一に、欠陥が「隠れたもの」である必要がなくなったことです。第二に、売主の責任は、欠陥の存在を知っていたかどうかを問わない「無過失責任」であることです。つまり、売主がエンジン異音の存在を全く知らなかったとしても、引き渡し後にそれが確認されれば、法的には責任を負う可能性があります。
契約不適合が認められると、買主(業者)には主に4つの権利が発生します。
- 追完請求: 修理などを求める権利。
- 代金減額請求: 修理がされない場合に代金の減額を求める権利。
- 損害賠償請求: 損害の賠償を求める権利(売主に過失などが必要)。
- 契約解除: 契約そのものを解除する権利。
多くの業者は、手続きが簡単な「代金減額請求」をいきなり突きつけてくる傾向があります。
プロの査定ミス
しかし、売主は一方的に不利なわけではありません。最も強力な反論は、「買主は査定のプロである」という事実です。買取業者は、車両の状態を正確に評価する専門家であり、その査定行為には一般の買主より高度な注意義務が課せられます。
国民生活センターも、プロの買取業者が査定を経て契約した場合、その業者は「発見可能な欠陥を見落とすリスク」を自ら引き受けたと考えるべきだ、との見解を示しています。査定時にエンジン異音を発見できなかったのは、専門家としての見落とし(プロフェッショナル・ミス)であり、その責任を売主に転嫁するのは筋違いだ、と主張できるのです。
こうして反論しましょう
業者から減額要求の連絡があった場合、冷静に、そして段階的に対応することが重要です。
1. その場で合意しない
まず「検討して後ほど回答します」と伝え、電話を切ります。そして、要求内容を必ず書面(メール等)で送るよう求めます。
2. 証拠を要求する
次に、業者側に立証責任があることを明確にするため、以下の提出を求めます。
- 「エンジン異音」の原因を特定した、第三者の認証整備工場による診断書。
- 修理にかかる費用の詳細な見積書。
- なぜプロの査定でこの問題を発見できなかったのか、その具体的な説明。
3. 契約書を確認する
手元の契約書で「契約不適合責任を負う期間」や「免責特約」を確認します。特に、売主が個人で買主が事業者(CtoB取引)の場合、「現状渡し」といった売主の責任を一方的に全て免除する条項は、消費者契約法により無効となる可能性が高いです。
4. 毅然と断る
以上の点を踏まえ、内容証明郵便などで正式に反論します。「引き渡し時に異音はなかった」「価格は貴社の専門的な査定に基づき合意したもので、発見可能な欠陥のリスクは貴社が負うべきだ」と明確に伝え、減額要求には応じられないこと、契約通りの支払いを求めることを記載します 12。
証明責任は業者にあります
法的な紛争では、主張する側がそれを証明する責任(立証責任)を負います。「エンジンに異音がある」と主張しているのは業者側なので、その立証責任は全面的に業者にあります。売主は「異音がなかったこと」を証明する必要はありません。
業者は、「その異音が、車両の引き渡し時に既に存在していたこと」を客観的証拠で証明しなければなりません。しかし、これを事後的に証明するのは極めて困難です。そして、業者自身の「査定時に問題なしと判断した」という事実こそが、引き渡し時に問題がなかったことを示す強力な状況証拠となります。
困ったら専門機関へ
交渉が決裂した場合は、一人で抱え込まず、速やかに第三者機関に相談すべきです。これらの機関への相談自体が、業者への強力な牽制となります。
- 消費生活センター: 局番なしの「188」に電話します。あらゆる消費者トラブルの最初の相談窓口で、助言や事業者との仲介(あっせん)を行ってくれます。
- 自動車公正取引協議会: 業界団体で、会員店とのトラブル相談を受け付けています(TEL: 03-5511-2115)。
- 日本自動車購入協会(JPUC): 売却トラブルに特化した相談窓口があります(TEL: 0120-93-4595)。
未来のトラブルを防ぐ
最後に、将来のトラブルを避けるための自衛策を記します。
- 証拠を残す: 売却前に、日付がわかる状態でエンジンを始動させ、エンジン音を含めた車両全体の動画を撮影しておきます。
- 業者を選ぶ: JPUCの「適正買取店認定制度」を受けている店舗など、信頼できる業者を選びましょう。
- 正直に申告する: 修復歴や把握している不具合は、査定時に全て正直に伝えましょう。事前に伝えた不具合は「契約内容の一部」となり、後からそれを理由に減額を要求されることはなくなります。
不当な減額要求は、法律知識の乏しい個人を狙った交渉戦術であることが多いです。しかし、売主には「プロの注意義務」や「立証責任」といった対抗手段があります。正しい知識で武装し、冷静かつ戦略的に対応することで、愛車の価値を不当に貶められることから守ることができるのです。

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