計画の8倍、衝撃のデビュー
ホンダが2025年9月5日に発売した新型プレリュードが、市場の予想を覆す爆発的な売れ行きを見せています。発売からわずか1ヶ月で、累計受注台数は約2,400台に到達しました。これは月間販売計画300台の実に8倍という驚異的な数字です。
この熱狂が異例なのは、車両価格が6,179,800円からという高価格帯にあることです。実用性よりも趣味性を重視する2ドアクーペというカテゴリーで、これほどの需要が生まれたことはまさに「事件」と言えます。想定を大幅に超える注文に生産が追いつかず、一部の販売店では受注を一時停止する事態にまで発展しています。この事実は、ホンダの予測を市場の熱量が遥かに上回っていたことを物語っています。
蘇る「デートカー」の記憶
なぜ600万円超のクーペがこれほどまでに求められるのでしょうか。その答えは、スペック表の数字だけでは見えてきません。最大の駆動力となっているのは、特定の世代が抱く強力なノスタルジーです。
1980年代、日本はバブル経済期にあり、その時代を象徴する文化の一つが「デートカー」でした。1982年登場の2代目、1987年の3代目プレリュードは、流麗なスタイリングと先進的な装備で若者たちの心を掴み、このジャンルの絶対的なアイコンとして君臨しました。車は移動手段だけでなく、恋愛を彩る特別な舞台装置だったのです。
今回の新型プレリュードの受注を牽引しているのは、まさにその時代を知る50代から60代の中高年層です。子育てを終え、経済的にも時間的にも余裕が生まれた彼らにとって、この車は実用性から解放され、自分自身の楽しみのために選ぶ「第二の青春」の象徴なのです。600万円という価格は、むしろ人生の成功を祝う「ご褒美」としての価値を高めるフィルターとして機能しています。
速さより「上質な時間」
新型プレリュードの成功は、ターゲット顧客の価値観と車両の設計思想が完璧に合致した点にもあります。開発の出発点は「プレリュードの復活」ではなく、「走る歓びと日常の気持ち良さをどう両立させるか」という問いでした 。その答えとして生まれたコンセプトに、最もふさわしい名前として「プレリュード(前奏曲)」が与えられたのです 。
設計思想の核にあるのは「グライダー」というモチーフです 。絶対的な速さを追求する戦闘機(シビックタイプRなど)とは対照的に、力に頼らず滑らかに美しく舞う。これは0-100km/h加速のような数値競争から脱却し、「どこまでも行きたくなる気持ちよさ」という体験価値を最優先するホンダの意思表明です 。
その思想は、全長4,520mm、全幅1,880mm、全高1,355mmという低くワイドな専用ボディ や、本革とソフトパッドを多用したプレミアムな内装に表れています。クーペでありながら乗り降りがしやすいシート高や、同乗者の快適性を優先した助手席シートの設計など、細部にわたって「大人のための特別なクーペ」としての価値が追求されています。
「操る楽しさ」と燃費の両立
プレリュードの技術的な核心は、現代の効率性と伝統的な運転の楽しさを見事に両立させた点にあります。搭載されるのは2.0Lエンジンと2モーターを組み合わせたホンダ独自のハイブリッドシステム「e:HEV」。これにより、WLTCモードで23.6km/Lという、スポーツクーペの常識を覆す優れた燃費性能を実現しています。
しかし、ホンダは単にエコなクーペを作ったわけではありません。運転好きが抱くハイブリッド車への物足りなさを解消するため、新技術「S+シフト」を投入しました。このモードを選ぶと、メーターはタコメーター表示に切り替わり、チューニングされた心地よいエンジンサウンドが室内に響き渡ります。システムは擬似的な変速フィールを演出し、加速時にはステップATのような小気味よい変速感を、減速時にはエンジン回転を合わせるブリッピングまで再現します。
これは、日常ではモーター駆動による静かで滑らかな「グライダー」の快適さを提供し、ワインディングでは官能的なスポーツドライブの興奮を提供するという二面性です。効率性と運転の楽しさは二者択一ではないという、電動化時代における「走る歓び」へのホンダからの新しい回答なのです。
ライバル不在の新市場
新型プレリュードの巧みさは、既存の競合車とは全く異なる土俵で勝負している点にあります。例えば、日産フェアレディZは405馬力の純粋なガソリンターボエンジンを搭載し、価格もプレリュードより安価です 。しかし燃費ではプレリュードが2倍以上の数値を誇ります 。トヨタGR86は、はるかに手頃な価格で純粋な運転の楽しさを提供します。
| 項目 | ホンダ プレリュード | 日産 フェアレディZ | トヨタ GR86 |
| コアコンセプト | 上質な体験価値 | 純粋なエンジンパワー | 軽量・俊敏なピュアスポーツ |
| パワートレイン | 2.0L e:HEV (ハイブリッド) | 3.0L V6 ツインターボ | 2.4L 水平対向4気筒 (NA) |
| 最高出力 (参考) | 約200PS (システム) | 405PS | 235PS |
| 燃費 (WLTC) | 23.6 km/L | 10.2 km/L | 11.9 km/L |
| 価格帯 (ベース) | 約618万円 | 約550万円 | 約300万円 |
この比較が示すように、プレリュードは馬力やコストパフォーマンスといった従来の物差しでは測れません。ホンダは「ノスタルジー」「プレミアムな内外装」「最先端の燃費性能」「官能的な運転体験」という要素を独自に組み合わせることで、これまで市場に存在しなかった「プレミアム体験型クーペ」という新しいカテゴリーを創造したのです。
なぜ600万円クーペは売れたのか
新型プレリュードの熱狂的な支持は、複数の要因が完璧なタイミングで組み合わさった結果です。
- 懐かしさへの投資: かつての「デートカー」世代の郷愁と購買意欲を的確に刺激しました。
- スペックより体験価値: 速さよりも「上質な時間」を求める大人の価値観に、内外装の質感と快適性で応えました。
- ハイブリッドの革命: 楽しさと燃費という二律背反を「S+シフト」という新技術で両立させ、運転好きの心を掴みました。
- 絶妙な市場創造: ライバル不在の「プレミアム体験型クーペ」という新ジャンルを切り拓き、競争のない市場で圧倒的な存在感を示しました。
- 所有する喜び: 600万円超という価格設定が、手に入れた者だけが味わえる特別感と、自分へのご褒美としての価値を提供しました。
プレリュードは単なる工業製品ではなく、特定の世代にとっての文化的象徴として、市場に迎え入れられたのです。





