がんばれ、日産!次世代「プロパイロット」の全貌

銀座の路上で示された未来の片鱗

2025年9月、東京・銀座の街並みに、一台の白い「日産アリア」が静かに溶け込んでいました。しかし、その運転席で起きている光景は、これまでの自動車の常識を覆すものでした。ドライバーはハンドルから手を離し、ペダルにも足をかけていません。それにもかかわらず、アリアは歩行者や他の車が複雑に行き交う都心の一般道を、まるで熟練ドライバーが運転しているかのように滑らかに進んでいきます。

これは、日産自動車が2025年9月24日に正式発表した、次世代運転支援技術「プロパイロット」のデモンストレーション走行の一幕です。この技術は2027年度から市販車への搭載が予定されており、自動車の安全思想を根底から変える可能性を秘めています。

これまでの安全技術は、衝突の危険が迫ってから作動する「反応型」でした。しかし、この新しいプロパイロットは、AI(人工知能)の力を借りて危険そのものを「予測」し、事故を未然に防ぐ「予防型」へと進化を遂げたのです。この記事では、この技術がどのようにして危険を予測するのか、その頭脳と目となるテクノロジーを解き明かします。さらに、自動運転「レベル4」の実現に向けて進む国の法整備と、この技術がどのように関わっていくのかという大きな視点から、自動車の未来を解説します。

「反応型」システムの限界

現在の自動車には、「衝突被害軽減ブレーキ(AEB)」をはじめとする多くの安全技術が搭載されています。これらは私たちの運転を支える重要な機能ですが、その仕組みには根本的な限界が存在します。それは、これらのシステムが「反応型」であるという点です。

「もし危険なら、ブレーキをかける」という単純な論理

衝突被害軽減ブレーキは、車に搭載されたカメラやレーダーを使って前方の車や障害物を監視します。そして、「もし、障害物との距離が短くなり、かつ速度が高すぎて衝突の危険があるならば、まず警報を鳴らし、それでもドライバーが操作しなければブレーキをかける」という、あらかじめプログラムされたルールに従って作動します。

この「IF-THEN(もし~ならば、~する)」という単純な論理は、目前に迫った危機に対しては有効です。実際に、この技術の普及により追突事故などが大幅に減少したというデータもあります。しかし、この仕組みはあくまで「起きつつある事故」の被害を「軽減」するためのものであり、事故そのものを「予防」する設計にはなっていません。

反応型システムが対応できない具体的な場面

この「反応型」という性質上、現在の安全システムには明確な限界があります。国土交通省などの公的機関も、これらの限界を理解し、機能を過信しないよう注意を呼びかけています。

  • 環境の変化に弱い:大雨や濃霧、雪といった悪天候時や、夜間、あるいは西日などの逆光が差す状況では、カメラの性能が著しく低下し、障害物を正しく認識できなくなることがあります。センサーが汚れている場合も同様です。
  • 複雑な対象物を見逃す:傘を差した歩行者、集団でいる人々、小さな子供、あるいは荷台が特殊な形状のトラックなど、システムが想定していない形のものは認識が困難です。
  • 予測不能な動きに対応できない:最も大きな課題は、「予測」ができない点です。例えば、駐車車両の陰から歩行者が飛び出してきたり、死角から自転車が急に現れたりといった不意の出来事には、システムが危険を認識してからブレーキをかけても間に合いません。システムには、「駐車車両の陰には人がいるかもしれない」と考える能力がないのです。

こうした限界があるにもかかわらず、ドライバーがシステムを過信した結果、事故に至るケースも報告されています。これが、現在の安全技術が抱える本質的な課題です。

日産のAIがもたらす新しい安全

日産が公開した次世代プロパイロットは、前述の「反応型」の限界を打ち破るために生まれました。その核となるのが、「予測」する能力です。目標は、単に機械的に車を動かすことではなく、まるで「熟練ドライバー」が隣で運転してくれているかのような、安心感と信頼感を提供することです。

AIは人間のように「かもしれない運転」をする

熟練ドライバーは、常に周囲の状況から次に起こりうることを予測し、事前に行動を起こします。次世代プロパイロットのAIは、この「かもしれない運転」を実践します。

  • シナリオ1:バス停に隠れた歩行者バス停にバスが停車しています。従来の反応型システムは、障害物としてバスを認識するだけです。しかし、予測型のAIは違います。過去に学習した膨大なデータから、「バスの前方から人が横断してくるかもしれない」という可能性を予測します。その結果、AIは急ブレーキに備えるのではなく、ごく自然にアクセルを少し緩め、いつでも避けられるように車線の少し外側に寄るなど、予防的な操作を穏やかに行います。危険が現実になる前に、危険を回避する準備を終えているのです。
  • シナリオ2:動きが読めない自転車車道の端を自転車が走行しています。反応型システムは、自転車が車線内に侵入してこない限りは何もしません。一方、予測型のAIは、自転車のふらつきや、運転者の視線の動き、道路の状況などを統合的に分析します。そして、「この自転車は左折するために膨らむかもしれない」「歩道の段差を避けるために急に車道側に出てくるかもしれない」といった複数の未来を予測します。その上で、最も安全な選択肢として、あらかじめ自転車との間に十分なスペースを確保するように、穏やかに車を制御します。

このように、危険の「芽」を摘み取ることで、そもそも緊急ブレーキが必要な状況を作り出さないのが、予測型安全技術の本質なのです。

表1:安全技術の世代交代

特徴反応型システム(従来の衝突被害軽減ブレーキなど)予測型システム(次世代プロパイロットなど)
基本思想目前に迫った危険に「反応」する潜在的な危険を「予測」し「予防」する
判断の仕組みルールベース(「もし~なら、~する」)データ駆動型(経験からの学習)
主な機能衝突被害の軽減事故の未然防止、運転ストレスの低減
最大の課題未知の状況や予測不能な動きに対応できない高度な判断には膨大な学習データが必要
ドライバー体験突然で衝撃的な緊急介入滑らかで安心感のある穏やかな支援

予測を可能にするテクノロジー

この革命的な「予測」は、どのようにして実現されるのでしょうか。その秘密は、人間でいう「頭脳」と「目」にあたる、最先端のソフトウェアとハードウェアの融合にあります。

3.1 頭脳:英国Wayve社が開発した「エンボディドAI」

まず、車の意思決定を司る「頭脳」について解説します。ここで重要なのが「AI(人工知能)」と「機械学習」という言葉です。簡単に言えば、AIは「コンピューターに人間のような知能を持たせる」という大きな目標であり、機械学習は「人間がルールを教え込むのではなく、コンピューター自身がデータから学習する」という、AIを実現するための具体的な手法の一つです。

日産の次世代プロパイロットが採用したのは、英国のスタートアップ企業Wayve(ウェイブ)社が開発したAIソフトウェアです。このAIは、従来のアプローチとは一線を画します。

従来の自動運転システムは、高精度の地図情報に頼り、「センサーで状況を認識し(Sense)、地図とルールに基づいて行動計画を立て(Plan)、実行する(Act)」という段階的な処理を行っていました。しかしこの方法では、地図にない情報やルール化されていない無数の状況に対応するのが困難でした。

対照的に、WayveのAIは「エンドツーエンド学習」という手法を採用しています。これは、車のセンサーが捉えた映像(入力)から、ハンドルやブレーキの操作(出力)までを、一つの巨大なAIモデルで直接結びつける考え方です。人間が運転を覚えるときのように、膨大な運転経験そのものから「運転というスキル」を丸ごと学習するのです。

さらに、このAIは「エンボディドAI(Embodied AI:身体性を持つAI)」と呼ばれます。これは、AIが単にサーバー上でデータを処理するだけでなく、車という「身体」を通じて現実世界と物理的に関わりながら学習することを意味します。子供が転びながら歩き方を覚えるように、AIは実際の運転を通じて、物理法則や道路の暗黙のルールといった「常識」を体得していくのです。

このアプローチがもたらす最も驚くべき点は、AIが単なるパターン認識を超えた、抽象的な概念理解へと至ることです。WayveのAIは、実際の運転データだけでなく、英国政府が発行した交通法規の文書を読み込んだり、インターネット上のテキストデータから学習したりする能力を持ちます。これは、AIが「なぜそのように運転すべきか」という背景の理屈まで理解し始めていることを示唆します。もはや決められたルールに従うだけの機械ではなく、未知の状況にも応用できる「知恵」を獲得しつつあるのです。これは、自動車の安全性をプログラムする思想が、「ルール」から「賢さ」へと根本的に転換したことを意味します。

3.2 目:高性能LiDARとセンサーフュージョン

優れた頭脳も、正確な情報がなければ機能しません。次世代プロパイロットの「目」の役割を担うのが、超高性能なセンサー群です。試作車には、11個のカメラ、5個のレーダー、そして1個の次世代LiDAR(ライダー)が搭載されています。

LiDARとは、「Light Detection and Ranging」の略で、レーザー光を使ったセンサー技術です。コウモリが超音波で周囲を知るように、LiDARは目に見えないレーザー光を毎秒数百万発も周囲に照射し、それが物体に反射して戻ってくるまでの時間を計測します。これにより、周囲の状況を極めて正確な三次元の点群データとしてリアルタイムに描き出すことができるのです。

  • カメラとの違い:カメラは色や形、標識の文字などを認識できますが、暗闇や悪天候に弱く、物体までの正確な距離を測るのは苦手です。LiDARは光の状態に左右されず、ミリ単位で正確な距離を計測できます。
  • レーダーとの違い:レーダーは悪天候に強く、物体の速度や距離を測るのが得意ですが、解像度が低く、人や自転車といった物体の細かい形を識別するのは困難です。LiDARは、それらの形状をはっきりと捉えることができます。

日産は、これら3種類のセンサーからの情報をAIが統合(フュージョン)することで得られる、極めて高精度な周囲環境モデルを「グラウンド・トゥルース・パーセプション(Ground Truth Perception:真実の知覚)」と呼んでいます。カメラの色情報、レーダーの速度情報、LiDARの3D形状情報。それぞれの長所を組み合わせ、短所を補い合うことで、AIは客観的で詳細な「真実の世界」を認識し、それに基づいて最適な予測と判断を下すことができるのです。

表2:次世代プロパイロットのセンサー構成

センサーの種類搭載数主な役割長所短所
カメラ11個物体認識、信号機・道路標識の読み取り色、形、文字を認識できる距離測定が不正確、悪天候や暗闇に弱い
レーダー5個距離と相対速度の検出全天候型で長距離に強い解像度が低く、物体の形状が不鮮明
LiDAR1個周囲の正確な3Dマップ作成高解像度、高精度な距離測定、暗闇でも機能豪雨や濃霧の影響を受ける可能性、比較的高価

テクノロジーと法律の交差点

日産の先進的な技術は、単独で存在するものではありません。それは、完全自動運転社会という大きな目標に向けた、国全体の取り組みと密接に関わっています。この技術がなぜ重要なのかを理解するためには、自動運転に関する法律の進化を知る必要があります。

4.1 目指すべきゴール:自動運転「レベル4」とは

自動運転の技術は、その能力に応じて0から5までの6段階の「レベル」に分類されています。重要なのは、運転の主体が誰にあるか、という点です。

レベル4は「高度運転自動化」と定義されます。これは、特定の場所や天候などの条件下(これを「運行設計領域(ODD)」と呼びます)において、システムが全ての運転操作を行う状態を指します。このODDの中では、ドライバーは運転から完全に解放され、システムから運転の交代を要請されることはありません。

日本には、すでにこのレベル4が実用化された例があります。福井県永平寺町では、特定の遊歩道約2kmの区間を、時速12km以下の低速で走行する運転席のない自動運転シャトルが運行しています。これがまさに、限定されたODD内で機能するレベル4の具体的な姿です。

4.2 法整備という現実:日本の新たなルール

このレベル4の実現に向け、日本の法制度は大きく前進しました。2023年4月1日、改正道路交通法が施行され、日本国内の公道でレベル4の自動運転が正式に解禁されたのです。

この法律では、レベル4の運行を「特定自動運行」と名付け、新たに許可制度を導入しました。レベル4のサービスを提供したい事業者は、運行ルートや緊急時の対応策などを盛り込んだ詳細な運行計画を策定し、地域の公安委員会に申請して許可を得なければなりません。これにより、安全性を確保しながら段階的に自動運転を社会に導入していく道筋が整いました。政府は、2025年を目途に高速道路での物流トラックのレベル4実現を目指すなど、明確なロードマップを掲げています。

4.3 現在地と未来の架け橋:なぜプロパイロットは「レベル2」なのか

ここで重要な点があります。銀座の街をあれほど滑らかに走行した次世代プロパイロットですが、日産はこの技術を自動運転レベル2に位置付けていると明言しています。

レベル2は「部分運転自動化」であり、システムがハンドル操作と加減速の両方を支援しますが、運転の監視義務と最終的な責任は常に100%ドライバーにあります。たとえハンドルから手を離していても、ドライバーはいつでも運転に戻れるよう、前方を注視し続けなければなりません。

一見すると矛盾しているように思えるこの選択には、極めて巧みな戦略が隠されています。現在の技術と法律では、個人が所有する乗用車でレベル4を実現するのは事実上不可能です。そのODDは「晴天時の特定の高速道路のみ」といった極端に狭いものになり、実用性がありません。さらに、レベル4では事故の際の法的責任がドライバーから製造者であるメーカーに移る可能性があり、これはメーカーにとって計り知れないリスクとなります。

そこで日産は、レベル4に匹敵するほどの高度なAI予測技術を、あえてレベル2の枠組みで提供する道を選びました。これにより、法的な責任はドライバーに残るため、ODDの制約や賠償問題といった高いハードルを回避できます。その結果、革新的な安全技術を、レベル4の法整備を待つことなく、いち早く多くのユーザーに届けることが可能になるのです。

これは、ユーザーにすぐさま高い安全性という利益を提供すると同時に、メーカーにとっては膨大な実世界での走行データを収集する絶好の機会となります。そのデータがAIをさらに賢くし、将来の本格的なレベル4、レベル5の実現に向けた開発を加速させるのです。これは、ユーザー、メーカー、そして社会全体にとって有益な、未来への賢明な一歩と言えるでしょう。

表3:自動運転レベルの簡単解説

レベル名称システムの役割ドライバーの役割具体例
レベル0運転自動化なしなし全ての運転操作を行うクラシックカー
レベル1運転支援ハンドル操作「または」加減速のどちらかを支援他の全ての運転操作を行う通常のクルーズコントロール
レベル2部分運転自動化ハンドル操作「および」加減速の両方を支援常に運転状況を監視する責任がある日産の次世代プロパイロット
レベル3条件付運転自動化特定の条件下で完全に運転する監視は不要だが、システムからの要請があればすぐに対応する義務があるホンダ・レジェンド(限定的)
レベル4高度運転自動化特定の条件下(ODD内)で完全に運転する。要請なしODD内では乗客となる永平寺町の自動運転シャトル
レベル5完全運転自動化あらゆる条件下で完全に運転する常に乗客。ハンドルも不要理論上のもので未実現

すべての人のための、より安全で信頼できるドライブへ

日産が発表した次世代プロパイロットは、単なる運転支援技術のアップデートではありません。それは、自動車の安全思想における歴史的な転換点です。事故が起きてから被害を軽減する「反応型」の時代は終わりを告げ、AIが危険を予測し未然に防ぐ「予防型」の時代が幕を開けました。

この変革を支えるのは、人間のように経験から学ぶWayve社のエンボディドAIと、世界の真実を正確に捉えるLiDARを中心としたセンサー群です。この技術が、まるで熟練ドライバーのような、安心感に満ちた運転体験を実現します。

そして、この技術革新は、社会の動きと足並みを揃えながら進んでいます。政府はレベル4の実現に向けて慎重に法整備を進め、社会的な信頼を醸成しています。同時に、日産のような自動車メーカーは、レベル2の枠組みの中で最先端のAI技術を社会に実装し、人々にその利便性と安全性を体験させます。この二つの流れは、互いに影響し合いながら、より高度な自動運転社会への道を着実に切り拓いているのです。

21世紀の自動車の価値は、もはやエンジンの馬力だけで測ることはできません。そのAIがいかに賢いか、そしてそのAIを育むデータのエコシステムがいかに豊かであるかが、新たな性能指標となります。日産が提供するのは、一台の車だけではありません。それは、走れば走るほど賢くなり、すべてのドライバーをより安全にする、集合知のネットワークへの招待状なのです。

あなたとクルマ編集部
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